室町短信

第3回 2012.1.6

謹賀新年

思いがけない災禍に見舞われた2011年が終わり、新しい年、2012年が訪れました。
今年は平穏な一年でありますよう願ってやみません。
暮れに新しい場所に移った映文連は、心機一転、事務局員一同、頑張っていく所存です。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。


◆日本橋室町から日本橋小網町へ

年の瀬も押し詰まった12月17日、映文連は中央区日本橋小網町へ移りました。
唐突に思われるかもしれませんが、年明けには2年毎の更新を迎えるため、昨夏より準備を進め、ほぼ予定どおりの移転です。
事務局員3人で、3日間かけて半世紀を越す映文連の歴史資料を230箱に詰め込んで引っ越し、翌週の2日間で荷ほどき、21日に事務所開きをしました。
事務所開きには、数々のお祝いの品を頂戴するとともに、理事や委員の皆さんを始め、関連団体や業界紙の方々にお越しいただき、映文連の新しい門出を祝うことができました。
お心遣い頂いた皆さま、どうも有難うございました。


◆小網町とは

 今度移転した小網町は、日本橋川の河岸に沿って連なる町で、もともとは、将軍の御肴御用を命ぜられ、白魚献上の特権を得た漁師たちが、街角に網を一張干しておく風習から生まれた町名と言われています。昔の小網町一丁目は、荒布橋、思案橋、親父橋という3つの橋に囲まれた三角形の町で、舟運がさかんな江戸時代は、問屋街で東掘留川の河岸には蔵がぎっしりと並び、美しい景観を呈していました。永井荷風も『日和下駄』の中で、日本橋川と掘割の合流する美しい景観を賞賛していたほどです。
 そんな小網町ですが、昭和24年に東掘留川は埋め立てられ、橋のある風景もすっかり変わってしまいました。映文連事務局の入ったビルは、かつてあった思案橋の袂に立つというわけで、なんともロマンチックな由来をもつ土地柄なのです。
 ※参考『地図物語 あの日の日本橋』(武揚堂)


 その直ぐ近くには、ビルに囲まれ「小網神社」という小さな神社があります。約550年の歴史をもつこの神社は、“強運厄除けの神様”として知られています。関東大震災の際、旧社殿は倒壊しましたが、宮司はご神体を抱えて近くの新大橋へ避難。そこへ大挙して避難してきた人々に混乱がなく、また、新大橋自体も落ちずに大勢の人が助かったと言われているそうです。小網神社は「東京八福神」の一つに数えられ、このお正月も沢山の参拝客で賑わいました。何だか、強運パワーを後ろ盾にしているようで縁起がいいなと思っています。


◆コラムの名称変更

 というわけで、事務局も日本橋室町から引越し、このコラムの名称「室町短信」も名前を変える必要に迫られています。
思い浮かぶのは、「思案橋通信」とか「小網町短信」とか・・・。
何かよい名称がありましたら、お寄せください。

 新しい事務局は、地下鉄人形町駅から歩いて4分、日本橋小網町17−18。日本橋室町時代より少し説明しにくい場所にありますが、お近くまでお越しの折は、是非、お立ち寄りください。

事務局 kiyo

前の記事へ次の記事へ